会の概要
 
 
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会の歴史
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1972年 10月   安全食糧開発グループの組織者、岡田米雄氏が千葉県中堅農村青年養成所長だった和田金次氏を通じて三芳村の農家に安全な卵の産直を打診。以後三芳村山名地区の和田博之らが地域で農家に呼びかける。
1973年 10月   よつば牛乳を共同購入していた首都圏の子育て中の女性25人が三芳村を訪問、無農薬野菜の生産を要請。18件で三芳村生産グループ結成。自然農法指導者露木裕喜夫氏、三芳を訪問して指導開始。(1977年まで)
1974年 2月   「安全な食べ物をつくって食べる会」結成集会(会員110名)
1975年 8月   援農開始(79年「縁農」と改める)
1975年 10月   有吉佐和子「複合汚染」の影響で会員1200人、生産者41人になる。
1976年 10月   岡田氏と決別、以後生産者・消費者提携運動として継続。生産者直送、多品目適量出荷を目指して生産グループ「自主出荷調整システム」開始。
1984年 11月   三芳村で第1回新穀感謝祭(以後毎年開催)
1987年 4月   「みんなの家」新築。
1988年〜94年     三芳村村内ゴルフ場建設計画反対運動。撤回に追い込む。
1993年 10月   村の振興と発展に寄与したとして三芳村から表彰。
1994年 4月   宅配便を特例として承認。(2000年以降特例をはずす)
1994年 10月   和田博之の畑を取材した「いのち輝け地球」NHK教育番組で放映。
1995年 1月   安房農業まつりで安房農業賞。
1995年 10月   野菜をセットにしたワンボックス開始。
1996年 11月
  千葉県土づくりコンクールで表彰
1997年 3月   第2回環境保全型農業推進コンクールで農水大臣賞
2000年 7月   新農業基金制度(現行)開始
2004年 5月   30年史「都市と村を結ぶ三芳野菜」刊行
2006年 3月   三芳村、南房総市に合併。三芳村生産グループの名称変更せず。
2006年 6月   日本有機農業研究会第34回全国大会三芳大会開催。
2011年 2月   二代目後継者、古宮政義、生産グループ代表に選出。世代交代。
2011年 7月   放射能対策プロジェクトを立ち上げ、福島原発事故放射による野菜への影響を測定。その後も定点測定を継続する。
2018年 9月   全量引き取りが不可能になり、お米の外部販売を認める。
2019年 2月   45周年祝賀会。この年生産者21名、食べる会会員560名。
2020年 7月   コロナ渦のためホストへの生産者配送を月1回のみとし、その他はすべて宅配便に変更。これまでの生産グループ負担であった配送料の改革。
2021年   会員の高齢化、宅配会員の増加などによりこれまでに会運営体制に代わる生産者主体の体制への転換問題を検討。
2023年 5月   食べる会解散総会。
2023年 11月   提携50周年祝賀会。
       
「都市と三芳を結ぶ三芳野菜 無農薬・無化学肥料30年」2005年ボロンテライン
都市と三芳を結ぶ三芳野菜の表紙
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 ■ 消費者が村へ押しかけた

 

   第一次石油ショックの起こる2ヶ月前、過疎化の傾向にありながら平穏に暮らしていた三芳村へ、東京から25名の消費者が手弁当で押しかけたのは1973年秋10月のことでした。   >>>